あずあみです。
自宅にてコロナの検査キットで検査をしました。
PCR検査や抗原検査ではなく、抗体検査というものです。
今回は、この抗体検査をしてみて考えたことを中心に書いていきます。
コロナ抗体検査キットを使って抗体検査をしてみたよ
コロナの抗体検査キットを使ってみました。
コロナ抗体検査キットとは、コロナウイルスに対する抗体があるかどうかを調べるものです。
勘違いしやすいものとして、PCR検査や抗原検査と呼ばれる検査があげられますね。
それぞれの違いについて少し触れておきます。
(参考:新型コロナウイルス感染症に関する検査について│厚生労働省)
PCR検査とは?
現在コロナウイルスに感染しているかどうかを知るための検査です。
検査方法は主に3つあります。
- 鼻の奥の粘液を採取する方法
インフルエンザのように、鼻から棒を突っ込むアレ。 - 唾液を採取する方法
容器の中につばを出すだけ、痛みのない検査。 - 小鼻から液を採取する方法
指の入る範囲程度の深さ(つまり小鼻の範囲)に棒を入れて液を採取。
コロナウイルスへの感染が疑われる場合に行われる検査の中でも、有名なのがPCR検査ですね。
抗原検査とは?
PCR検査と同様に、現在コロナウイルスに感染しているかどうかを調べる検査です。
しかし、PCR検査に比べて精度が落ちます。
あくまでも、PCR検査の補助的なポジションになっています。
PCR検査よりも簡単に行えること、結果がすぐにわかることから使われているようです。
抗体検査とは?
私が今回やってみた検査です。
抗体検査は、上記2つの検査と大きな違いがあります。
まず、国内で承認されている検査キットは存在しません。
つまり、検査はできますが、その精度を国は認めていないということです。
11月現在、国内未承認の検査キットしか流通していませんので注意してください。
(参考:抗体検査キットの性能評価)
そして、抗体検査では、現在コロナウイルスに感染しているかどうかはわかりません。
過去にコロナウイルスに感染したことがあるか、ということがわかる検査です。
コロナ抗体検査キットの使い方
さて、今回私がやってみたコロナ抗体検査キット。
せっかくなので、使い方についても触れておきますね。
- 抗体検査キットをゲットする
- 抗体検査キットの使用方法をしっかり読む
- 検査しやすいように袋から出したり準備する
- 指先を消毒する
- 指先から血を流す
- 血液を検査キットに垂らす
- 血液の上に薬液を垂らす
- 5分から15分くらい待つ
- 結果発表~~~!!
こんな感じです。
雰囲気だけ伝わればと思います。
基本的には、検査キットに手順も注意点も何もかも書いてあるので、もちろんそちらを最優先にしてくださいね。
ちなみに、私は過去に1度もコロナウイルスに感染したことはないという結果がでました。
※繰り返しになりますが、国内未承認の検査キットを使用しています。
抗体検査をしてみて考えたこと←メイン
抗体検査をして、私はコロナウイルスに感染したことがないと結果が出ました。
正直、少しホッとしています。
今回私は「国内未承認の検査方法である」ということを知った上で、抗体検査をやってみました。
なので、この結果が全てではないと承知しています。
それでも、少し、なんとなく、ホッとしたんですよね。
うん。
たぶんこれ、宗教にハマる心理に似ている。
今現在、コロナウイルスに関する確かな情報って、何もないと思うんですよ。
全てが憶測と、少ないデータから得られた(もしかしたら偏っているかもしれない)情報のみ。
それだけならまだしも、メディアは日々、私たちの不安を煽っているような状況です。
感染者が何人、重傷者が何人、後遺症がどうだ、感染者の家族に対する差別が…、病院に行っても…、子どもやお年寄りが感染したら…、
もう麻痺するくらいに怖い言葉のオンパレードです。
怖い怖いと、実際に口にすることは少なくても、私たちの無意識の中に確実に刷り込まれています。
大きな不安と、恐怖。
マスクや消毒液、トイレットペーパーの売り切れなんて出来事も、刷り込まれた不安や恐怖によるものでしょう。
私も、そこまで意識していませんでしたが、恐らく心のどこかに恐怖が隠れていたのだと思います。
だから、絶対ではないとわかっていても、検査結果を見て安心したのだと思います。
あぁ、大丈夫だったんだ、って。
宗教とは、安心するために何かを信じることです。
私は、そう認識しています。
誰もが抱く「死への恐怖」に対し、仏教では極楽浄土を、キリスト教では天国を用意しています。
良いことをして生きていれば、死んでも良い世界が待ってるから大丈夫、と安心させてくれるのです。
でも、その安心は信じるからこそ与えられます。
「極楽浄土なんて、天国なんて、存在するもんか」と一蹴してしまえば、安心の「あ」の字もありません。
「そうか、ならば」と信じて初めて、安心を受け取ることができるのです。
安心を救いとするなら、信じる者が、救われるのです。
今回の抗体検査についても、同じことが言えるでしょう。
私は、検査結果を少しだけ信じたので、少しだけ安心しました。
何を信じるのも自由だけど自分で決めよう(オマケ)
こういう話をすると決まって、私は軽度の人間不信になるんです。
でも、今日はしましょう。
話しましょう。
私は、自由に何でも信じることができます。
もちろん、あなたも同じです。
何を信じるのも自由です。
しかし、自由に選択したと思い込んで、誘導されている場合があります。
信じるものを自由に決めたつもりでも、実は決められていたという場合です。
これ、マジで危険です。
「AとB、どちらにする?」
「Aを選んだのは100人で、Bを選んだのは7人だが、どちらにする?」
2択を迫られるシーンでは、情報が多ければ多いほど、人は迷いがちです。
あ、化学的根拠とかは全くわからないので、私の酷い妄想だと読み流してもらっても大丈夫です。
迷うのはなぜかというと、得するほうを確実に選びたいからです。
ここで、損をしたくないという不安が生まれるんですね。
情報が多いと、損得の計算が複雑になっていく。つまり、迷う。
賢くていじわるな人は、この不安を使うのが上手です。
不安を使って、選択させたい方を選択させることができるのです。
選択した本人には気付かれないように。
相手をコントロールすることができるんです。
これ書きながら、さっそく不安になってきました。
私が今回の検査結果を信じたのは、本当に私の判断でしょうか。
世の中が不安に満たされているから、すがる思いで、信じてしまったのではないでしょうか。
世の中を不安に満たしているのは、もしかして、検査キットを開発した誰かなのではないだろうか。
そうしたら、検査キットを販売した人は?
私を心配してくれていたのでしょうか。
それとも、検査キットを売りたくて私の不安をダイレクトに煽ったのでしょうか。
そもそも、なぜ検査キットなんて必要になったのだろう。
検査キットが必要とされるように、他の検査を制限している人がいるのでは…。
どうですか。
人間不信の足音が聞こえてきましたか。
もしそうだとしたら、巻き込んでしまってすみません。
でもこれ、ビジネスの世界では当たり前みたいになっていることなんですね。
売るための簡単な方法は、メリットを見せるよりデメリットを見せること。
買って得することを説明するより、買わないで損をすることにフォーカスして説明すること。
…なんてことを、笑顔でのたまう人がたくさんいます。
まぁ、それは良いんです。
嘘じゃなかったら、良いと思うんですよね。
そして、それを信じるのも自由です。
ただ、それを「信じた」のか「信じさせられた」のか、判断できないと自分の人生じゃなくなっちゃうと思うんです。
私は、自分の人生を生きるとは、自分で選択をするということだと考えているからです。
信じさせられたのだとしたら、その選択をしたのはあなたではなく、その相手です。
実際に、信じさせられて買ったものって、使わなかったりしませんか。
それ、あなたが選んだものではなく、相手が選んだものだからなんですよ。
あなたの人生に必要がない、少なくとも今のあなたには必要がないものなんです。
コントロールされている自由を、本当の自由だと勘違いしていると、自分の人生を生きられなくなる可能性があります。
だから危険なんです。
通常は「信じた」のか「信じさせられた」のか、判断することは簡単です。
でも、そこに不安が入り込むと、とたんに判断が難しくなります。
不安になると、人間はアホになります。
これ、マジです。
だから、不安になった時は深呼吸して「不安があるけれど、冷静に判断できるか?私」と自分に問いかけます。
それだけでも、自分の人生を他人任せにする重大なミスは減らすことができるでしょう。
もし不安がある時に思い出したら、やってみてください。
私は、普段はこんな風に考えないようにしているのですが、こうやって文章にしていると、また意識してしまいますね。
しばらくは軽度の人間不信のまま過ごそうと思います。
さて、こんな文章を読んで不安になりました?
問いかけるべきですよ。
この文章を信じるか、否か。
ありがとうございました。
愛と破壊の戦士あずあみです。
日々の中で感じたこと、考えたことを書き殴っています。
ほろ酔いで読むとちょうどいい感じのブログです。
お酒のおつまみにしてください。
というかシラフで読まないでください。お願いします。お酒を飲んでから来てください。どうか、この通りです。勘弁してください。
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