「やらない決断」は「やる決断」と同等に褒められるべき

言葉あそび

あずあみです。

やろうかやるまいか…と悩んでいる時に、絶対に「やる!」って言ったほうが褒められますよね。

なんでやねーん。

ってことで、始めます。
なんでやねーんって言ったけど、関東人です。関西の人怒らないでください。

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やるかやらないか、人に相談したことある?

私はブログを書いてるので、ブログを例に出しますね。

「ブログ始めようか悩んでる」って誰かに相談したとしましょう。
何でもそうだと思いますが、何か始めるってそれなりの決断が必要です。
そんな時、誰かに話を聞いてもらえたり、アドバイスを貰えると助かりますよね。

相談相手にもリアルに考えて欲しいし客観的に見て欲しいから、メリットのほかに、ブログを始めるデメリットについても言及するでしょう。
「少しだけどお金がかかる」「続けられるかわからない」「本を読んでも不安」など。

すると相談相手はこう言ってくれるかもしれません。

「出来ない理由じゃなくて、出来る方法を考えようよ!」

そう言ってもらえると、もうたまらないですよね。
たまらなく、しんどい。

もう、相談相手の中では「ブログをやる」って決まっていて、それを私が渋っている、みたいな構造になります。

なんでやねーん。ですわ。2回目。すんません。

相談相手には、決して悪気がありません。
むしろ、私のことを想ってそう言ってくれているのだと思います。
それがわかるので、私はいつも「ありがとう」って言ってます。

でも、なんかモヤっとするんですよ。
このモヤっとは、シンプルに私が陰キャだからかもしれないのですが。。

私は「やるやらない」を相談しているのであって「出来る出来ない」の部分はもうクリアしてるつもりなんですね。

出来るんだけど、やるかやらないか迷っているって感じなんですよ。
「やりたいけど、出来ない」っていう相談じゃないんです。

その小さな誤差が、私の胸にモヤっと残るんですね。

やるやらない、出来る出来ない、どちらの相談か明確にしておく

まず。
やるやらないの相談をしているのか、出来る出来ないの相談をしているのか。
ここをお互いに揃えておかないと、モヤっとしちゃいます。

やるやらないは意欲とかの精神的な話で、出来る出来ないは条件や環境などの話。
ここを揃えておかないと、話が全体的にすれ違ってしまうんですよね。

相談する時に「もうやるって決めてるんだけど、条件が厳しくて」「出来る環境なんだけど、前向きになれなくて」のように、ハッキリ言うと良いんだと思います。

あ、そうか。そうだよね。

モヤっとしちゃうのは、相談者にも責任があったんですね。反省。

「やる決断」が出来るのは単に恵まれているだけの場合がある

脱線してしまいましたが、私がこの記事で1番言いたいことは、「やらない決断」もすごいんだぞ!ってことなんですよ。

なぜかっていうと、「やる決断」ができるのは、単に恵まれた環境ってだけのことがあるからです。
本人は特に努力せずとも「じゃ、やるわ」って言えば「やる決断」になる場合です。

わかりやすい例を出します。

めちゃくちゃ大金持ちの子どもが「大学行くわ」と決断する。
めちゃくちゃ貧乏な家の子どもが「大学行くわ」と決断する。

二人とも、同じ決断です。
しかしこの決断のあと、二人は全く違う世界を見ます。

お金があれば、大学生になっても勉強だけに集中できる環境が待っているでしょう。
必要であれば、どこかへ研究に行くことも簡単、基本的にお金で解決できることは全部解決です。
卒業後に大学院でさらに学ぶも良し、就職して働くのも良し。必要になる引っ越しも楽々、新生活も楽勝です。

お金がないと、大学生になってもバイトが必要です。
勉強しながら働くので、スケジュールの都合で諦めなければならないことも多数あるでしょう。
とても勉強だけに集中できる環境ではないです。
卒業後に就職をすれば、大変な金額の借金(奨学金)の返済をしつつ、自分の生活を送ることになります。

はい、極端にしました。
優等生なら学費が免除になるとか、お金持ちでも楽じゃないとか、実際にはもっと複雑な事情があるとか、そういうのは無視してます。

でも、でもさ。

金持ちな子の決断と、貧乏な子の決断。
覚悟が違うと思いませんか。

もし貧乏な子が「やらない決断」をしたとして、それを逃げだ何だと責められるでしょうか。

本当に学ぶ意欲があるなら、何が何でも努力して「やる決断」をするはずだ。

なんて、無責任で酷い言葉ですよ。
それこそ「やる決断」こそ尊いっていう精神が丸見えで、嫌な感じです。

本当は学びたいけど、自分は体が丈夫ではなくバイトとの両立ができなそうだから、最初から「やらない決断」をする。
これだって立派な決断なわけですよ。

「やらない決断」こそ覚悟が必要な場合がある

なぜ、こんなに「やる決断」が良いとされるのかって考えると、「覚悟」も関係しているのかもしれません。

やるって言った方が、なんか大きな覚悟を感じますよね。

反対に、やらないって言うと、ただ諦めたような印象になりませんか。

このイメージが大きいのではないかと思います。
そのせいで、「やらない決断」がなかなか認めてもらいにくいのではないでしょうか。

意外と、やらない決断の方が覚悟が必要になることもあります。

先ほどの例を出せば、大卒なら就職の幅が広がったり、未だ就職には大卒が優遇されることが多くあります。
大学へ行かない、と決断することは今後の人生に大きく関わってくると言えますよね。

「やらない決断」にも、相当な覚悟が必要になります。

「やらない」と決断した人の覚悟も、もっと尊重されるべきだと私は思います。

やるもやらぬも同じくらいすごいよ

無理やりまとめますよ。

やる決断をしてやるのも、やらない決断をしてやらないのも、同じくらいすごいことです。

誰が何と言おうと、私は「やらない決断」も支持します。
本人が考え、覚悟をもって下した決断であえば、やるもやらぬも同じくらいすごいことです。

例えば、仕事が忙しいからブログを休む(やらない)と決断すること。
育児に集中したいからお仕事を休む(やらない)と決断すること。
いじめなどの理由により学校や仕事を休む(やらない)と決断をすること。

自分で考え、そうしたいと思って選択したなら、その決断は尊重され、褒められるべきです。
「やる決断」と同等に。

何かをやらないと決めることは、周りのプレッシャーもあり、とても大変なことが多いですよね。褒められることも少ないでしょう。

でも、私は褒めます。

やるって決めた人と同じくらい、やらないって決めた人も褒めます。
「よく決断したね!」って。

「やらない決断」は、必ずしも怠惰ではないからです。
サボってるとか、面倒くさがっているとか、もちろんそういう時もあるだろうけれど、全てではない。

やらないことも、立派な決断です。

無理して頑張らなくていい。
子どものため、自分のため、パートナーのため、親のため、…。
「やらない決断」が、自分を含む誰かのためになることがありますよね。

やらない決断も認められる世界になりますように。