あずあみです。
「愛しているからこそ厳しくする」
そんなことが、正当化されてはならないのです。
厳しい愛など存在しない。あり得ない。発想が恐ろしい。
愛のある厳しさなど存在しない。
それを証明してみました。
愛は恐怖と反対方向にある
愛を感じるとき、愛をかみしめるとき、愛を伝えるとき。
それはあたたかくて、優しくて、眠りにつく直前のような心地よさで、全身が満たされます。
ところが、厳しさはどうでしょうか。
厳しさを向けられた時には、耳にこびりついて離れない言葉、冷たく緊張する心、小さく黒くなっていく体を感じます。
厳しさを感じる時とは、恐怖を感じる時です。
愛と厳しさが共存することなどあり得るでしょうか。
愛と恐怖が共存することなどあり得るでしょうか。
愛は恐怖と反対方向にあります。
この2つが同じところに存在するなんて、とんでもない話です。
「厳しいこと」は愛がなくても言える
私が恐ろしく感じる思想の中のひとつが
「厳しいことを言ってくれる人には感謝しろ」
というものです。
「厳しいことを言ってくれる人は少ない、そのため大切にしなければならない」というのです。そんな…そんなふざけた話がありますか。
昨今のメディアを見ていてもわかるように、「厳しいこと」なんて、誰でも言えるのです。むしろ、優しいことを言うより簡単に言えるのです。
「厳しいこと」は、愛がなくても簡単に言えます。
仕事でも「愛があるから厳しいことを言うんだ」と聞かされることが多いですね。そうでしょうか。私は甚だ疑問に思います。そんなわけないだろうと。
愛という言葉を使ってごまかしている、自己防衛をしているとしか思えません。
だって、「本当は厳しいことを言いたくないけど、愛があるから、しょうがなく言っている」なんて、完全なる言い訳にしか聞こえませんよ。そうでしょ?
愛だと言うなら、愛のある言い方をすべき
誤解しないでほしいのは、私は単に「甘やかせ、なんでも許せ」と言っているのではないのです。
仕事を教える時、子どもをしつける時、さまざまなシーンで厳しくならざるを得ないことがあります。生きている人なら誰でも。
そんな時には、内容を妥協せず、愛のある言い方をしましょうねって話なんです。
例えば、綺麗な字を書く仕事をしていたとして、部下の字が汚いと注意するとき。
「汚い字で書くな。こんなことも教わらなかったのか。今まで何を考えて仕事をしていたんだ。早く書き直せ。」
「この字は読みにくいから、書き直して欲しい。今度からは同じミスがないように、注意して書いてくれると助かる。よろしくね。」
どちらも、字を書き直して欲しいこと、綺麗な字で書いてほしいこと、この2点を伝えています。
愛があるのはどちらでしょう。
厳しくすることが愛ではない
怒りにまかせて、さも「あなたのため」といった口調で、あなたに厳しく当たってくる人。そんな人に「感謝しなくては」と悩むのは、今この瞬間から、やめてください。
あなたが厳しいと感じるなら、それは愛ではないから。
厳しくしなくても、傷つかなくても、痛い思いをしなくても、私たちは学ぶことができます。考えることができる人間だから。言葉を理解できるから。ね。
愛のある厳しさなど存在しない。騙されて、苦しんではいけない。
あなたが厳しいと感じるのなら、相手は愛のない人なのです。愛のない人に愛を返そうと努力することは、とても苦しいことです。
無理に自分を責めず、諦めることも必要です。
一人でも多くの人の心が穏やかになりますよう。
愛と破壊の戦士あずあみです。
日々の中で感じたこと、考えたことを書き殴っています。
ほろ酔いで読むとちょうどいい感じのブログです。
お酒のおつまみにしてください。
というかシラフで読まないでください。お願いします。お酒を飲んでから来てください。どうか、この通りです。勘弁してください。
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